8月15日。終戦の日。
私は知らない戦争、71年前に終わったとされる戦争が、今と地続きであること、本当は終わっていないこと、変わっていないことがあるという事を、忘れちゃいけないって思う。
核爆弾が2発落とされた国に、その同じ核の力を利用した原発が54基もあって、福島での原発事故で安全神話も崩れ、再び核の脅威を思い知ったはずなのに、今また3基の原発が再稼働し、原発をやめるという決断が出来ない日本。
同じように71年前は、戦況悪化を誤摩化し続け、戦争をやめるという決断が出来なかった日本。
国家権力者が広島長崎の平和式典などで使う、「尊い命」という言葉ほど白々しいものはない。71年前も今も、私たちの命が政府から尊ばれた事などないんだ。
私たちの命が尊いなら、憲法の解釈を変えてまで、集団的自衛権の行使容認などしないだろう。沖縄の米軍基地移設、ヘリパッド建設に非暴力の抵抗をする人々に対して、何百もの機動隊を集め、暴力で排除することなどしないだろう。オバマ政権の核兵器「先制不使用」政策にわざわざ反対なんてしないだろう。
私はやっぱり国家権力をもった人間の言葉って、信じられない。
多くの人がすばらしいと言った、オバマの広島でのスピーチもそう。
予定調和的な平和教育の後に書かされるよく出来た感想文、ぐらいの印象しかなかった。
この日、沢山の人が一目オバマを見ようと川沿いに集まり、西飛行場を見つめていた。広島の空を軍用ヘリやオスプレイが飛ぶのを見て、私はやっぱり嫌悪感しか浮かばなかったよ。71年前の広島の上空を思い浮かべ、これが日常の沖縄の空を思い浮かべ、地続きの今を感じた。
でもこれは、アメリカに対する嫌悪感ではなく、やっぱり権力に対する嫌悪感だ。
アメリカと日本の、権力者によって、政治的に広島が利用されているように思えて仕方なかった。
キレイで感動的な言葉と表面上のストーリーに騙されて、いつの時代にもある、国家の暴力が見えなくなってはいないか?
まあ、大多数の力をもった政治家なんて皆ロクなもんじゃないから、何も期待せず、巻き込まれず、自分たちのやり方で勝手に暮らせてしまう、国を越えたコミュニティを作った方がいい。
それで、国家権力もったやつらに、ざまあみろ!と言ってやりたい。