ちょっと今更すぎるんだけど、もうすぐ2017年も終わるから振りかえってみようかな。
8月にね、ノルウェーを旅行したんです。
車でぐんぐんと北上して、デンマークも突っ切って、船乗って。
ノルウェーの南西だけだけど、ぐるりと車で。
すっごく素敵な旅だったので、帰って来てから友達に手紙を書くついでに、手書きの新聞「ノルウェー便り」を作って送りました。
学級新聞のノリで書くの、楽しかった。
ちょっと読みにくいかもだけど、ここにも載せます!
最後の方、スペースがなくなって来て、尻切れとんぼみたいになっちゃたけど。
旅の間、のび太と話していて面白かったのは、私たちが割と当たり前にもってる価値観が、風土や文化が違うと当てはまらないことが往々にしてある、という事。
ノルウェーはお金持ちの国で、育児も教育も国が色々保障してくれる、めっちゃ子育てしやすそうな環境だけど、各家庭の子供の数はそう多くない。子供がたくさん欲しかったら持てるだろうけど、多くの人は1人〜3人いれば満足だろう。自分たちの喜びのために子供を作るのだから。
でも貧乏な国だったら?典型的なイメージとして、貧乏な国ほど人は子供を沢山作る。お金もない、環境も悪い、それでも子供を作るのは、それが自分たちの生きる術だから、とも言えるんじゃないかと。子供は彼らにとっては、金銭的に肉体的に自分たちの将来を支えてくれる希望、になり得る。そういう状況に対し、子供を自分のモノみたいに考えるのは良くないとか、ちゃんと育てられない環境なのに何故そんなに産むの?とか、こっちのモラルを振りかざして簡単に言えない。
あるいは、イヌイットの食文化は欧米人と触れることによって今では結構変わったらしいけど、作物が育たない環境で生き抜くには、壊血病にならない為に、生肉を食べビタミンを摂る事も生きる上で大事なこと。それ故菜食主義はここではちょっとハマらない。
近親者との交わりが多かったという話も、外部からの人の行き来が少ない地域で、他に道がないことを想像すると、モラルの問題として批判することはできない。
などなど。
環境や慣習や政治に抑圧されている人が少しでも少なくなればいいな、とは思うけど、これは抑圧だ!と思う価値観は、どの土地でもあるいはどのシーンでも共通しているわけじゃない。
小さな社会で生きていると、そういうこと忘れがちだけど、外へ飛び出して別の文化に触れると思い出す。
自分の価値基準は大事にすべきだけど、他人に押し付けないことはもっと大事だ。
その上で、コミュニケーションができたら最高だ。
何気にこの旅だけでなく、今年一年ずっと考えて来たことは、これかもしれない。
相手を尊重するって、一体どういうことなんだろうって。
多分これって答えはないってか一つじゃないだろうけど、これからもちゃんと考えて生きたいこと。