ニコニコ通り

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2019年6月号

インターネットで流れてくる日本のニュースが、とても悲しくて病んでて腐ってて、なんでこんな風になっちゃうんだろう、、、と考えてると、

自己責任論の強い日本社会が元凶の一つなんじゃないかと思えてきて、4コマ漫画にしてみました。

 

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怪我した時に自分の不注意を責めて、謝っちゃう気持ち、わかる。

友達によくして貰った時に、なんでか、「ありがとう」より先に「ごめんね」を言っちゃう気持ち、わかるよ。

 

日常の中で「ごめんね」を言いすぎて、こっちの友達から、たまに不思議な顔をされたり、はっきり「謝る必要ないでしょ」と言われたりして、謝るクセがついちゃってる自分に気づいた。文化の違いとして捉えることも、ある程度はできるけど、

 

例えば、アイドルが男性二人に襲われ騒動になり、最終的に被害者が謝罪させられたり、レイプされたことを訴えた女性が、服装や立ち振る舞い(酒飲んだとか抵抗が弱いとか)で叩かれたり泣き寝入りさせられたり、保育園児の散歩中、車が突っ込んできて犠牲者が出て、保育士さんたちが安全管理面で責任問われたり、ジャーナリストが紛争地域で拉致拘束され、殺されても無事解放されても自業自得と責められたり、

 

自己責任という呪いから、そんな風になってしまう事に、もううんざりしてしまう。

 

悪いのは加害者。謝るべき責めるべきは加害者で、被害者には寄り添うべきなのに、応援すべきなのに、それが出来ない人がいるって事が悲しい。そこから感じるのは、他人の不幸を笑うような冷たい視線と不信と想像力の欠如。

そして、心の何処かにある自己責任論が、傷つけられた側の謝罪で正当化されてしまう。

自己責任論が強くなると、傷を受けた事を訴えても、辛い状況を訴えても、無視されてしまう。それで助けを求められずに死んでしまう人もいるのに。

 

怪我をしたり、病気になったり、誰かに騙されたり傷つけられたりした人を、助けられる社会であってほしい。自分自身もきっといつか誰かに助けられる。そう思える社会であってほしい。

 

だからこそ、

自分にも染み付いてる自己責任感を、本当に必要なのかどうか、見直すこと。

(持ってる権利を大事にする事が、他の人の権利を守ることにも繋がる。)

本当に謝罪すべき人は誰なのか、どこに責任があるのか、考え追求すること。

(加害者がいる限り被害者が生まれるし、権力を持つ側が変わらない限り、社会は変わらない。)

 

が、大事なんじゃないかと、つくづく思うのでした。