なんか最近、コロナパンデミック中の出来事について、ブログ内で触れてなかったんですが、ここらでいっちょ報告等も兼ねて、色々思うことをぶちまけとこうと思います。ということで、とても長いです!
今の状況について思うこと、と言えばやっぱりワクチン政策と社会の変化について触れざるを得ないし、そこに対して色んな意見がぶつかり合い、議論され続けている中で、客観的な意見とその科学的根拠を並べ立て、誰かを説得する気はないのだけど、自分がどんな気持ちでどんな選択をして、変わっていく社会にどんな気持ちを持ってるか、自分の周囲の状況を踏まえて、記しておきたいな、と思いました。
まずは、自分の状況から話すと、私は6月半ばにJ&J社製のコロナワクチンを接種しました。
その機会は突如やってきた。感染者数の多い町ごとの集団接種キャンペーンが私の住んでる町でも行われ、なんの予約も必要なく、接種できてしまった。
もちろん機会がきたら接種しようと思っていたし、その時悩んでいたのはどの会社のワクチンを接種するか、ということ。実は、J&J社製は60歳未満の人には推奨されておらず、その理由は重篤な副反応として血栓ができる可能性が(かなり低いけど)ある、という報告がヨーロッパ各国で話題になったからである。アストラゼニカ製も同様の理由で、多くの人が接種を避け始め余っていたので、希望さえすれば、診療所等ですぐに接種出来る状況だった。
ビオンテック・ファイザー製とモデルナ製は、私の年代にも推奨になっていたので、自分の番が回ってくれば自ずとこのmRNAワクチンを接種することになっていた。
それを待たずして、J&J社製の接種に踏み切ったのは、色々な瑣末な理由がある。
その時はワクチン不足が問題になり始め、自分の番が回ってくるのは随分先になりそうだと思ったこと。住んでる町とノビコのある町の感染者数がケルンの中でも結構多く、感染して重症化することの怖さをヒシヒシと感じていたこと。ノビコのスタッフのほとんどがすでに1回目のワクチン、もしくは同じキャンペーンを使ったJ&J社製を接種済みだったことから、早く接種したい気持ちに拍車がかかったこと。もうすぐ店内営業が解禁されるというタイミングで、それまでに接種したいという気持ち。登録や予約もなく1回で済むのはある意味楽だな、と考えたこと。J&J社製のはベクターワクチンで、これも比較的新しい技術とはいえ、mRNAワクチンよりも先に使用されてきた実績があること。たとえ血栓がおきても、すぐに対応すれば、薬等有効な治療法があるので大丈夫だという医師からの情報。
自分の不安を全て払拭できるような強い理由なんてなかったし、通常の予約が取れるまで待とうかなとも思っていた。でもその方が安全だなんていう根拠もないしとモヤモヤしていた時に、上記のような理由から、せっかくだからこの機会を使ってもいいんじゃない、くらいの軽い気持ちになるよう自分をあれこれ説得し、J&J社製の接種を決めた、という感じ。
接種前にワクチンの副反応について書かれた説明書を読んでサインするんだけど、そこには血栓についても明記されており、実は避妊用ピルにも同じ副作用が同じくらい稀にあることも書いてあった。ピルの箱に副作用として「稀に血栓を起こす可能性が〜」なんて書いてあっても、おそらく私は今回ほど不安にならないだろうし、スルーして飲むだろう。今までピルの副作用として血栓があることが問題視されているというニュースも聞いたことはないし、多くの女性が当たり前のように飲んでいる。コロナワクチンのように注目されれば、稀に起きる副反応が大きなニュースになり、そのメディアの力によって自分の不安度がこうも左右されるものなんだ、と実感した。
そもそも、実は私たちは様々なリスクと隣合わせで生活していて、そのリスクに目を向けることも超大事だけど、一つのリスクを回避すれば別のリスクが生まれることも大いにあり、結局どっちのリスクをとるのか、という事で悩むことになる。これは何も健康に対するリスクだけの話ではなく、社会生活に対するリスクも含んでの話。思えば、コロナウィルスとの戦いの中でも、相反するリスクの中でどう行動するべきか迫られることばかりだった。
感染したくないしさせたくもない。でも仕事を失う・失わせるわけにもいかないし、人と全く会わないことは、精神的な孤立を招く。社会的活動をストップさせ、国がその間の経済支援をあらゆる方向から行う、というのが理想ではあるけど、人々の自由をどこまで強く制限するのかで揉めたし、そもそも支援も充分とは言えなかった。コロナ対策に疲弊する気持ちも理解しつつ、一方で感染がどんどん広がれば今度は医療が逼迫する。何故なら、コロナウィルスで重症化すれば治療が長期にわたる上に、24時間体制で特に人手も必要となり、その上現時点では特効薬もなし、という新しい感染症だからだ。数字の上だけでコロナウィルスは大したことないとか言う人いるけど、病気の話をしているわけだから、医療現場の声を聞くのが一番じゃないか、と私は思う。
ドイツで今までで一番感染状況がヤバかった時、今年の1月〜3月頃、コロナウィルス関連の死亡者が毎日500人位、時には1000人超えてて、それどういう状況だよ、と。私は普通に生活できているけど、医療現場は一体どんな地獄なんだよ、と。
そんな時に観た医療現場のドキュメンタリーで、やはり緊急事態であることを感じたし、ここでこんなに踏ん張って仕事している人たちを、無視することはできない、と思った。(とは言え、ドイツの医療機関はコロナ病床の準備を早くから進めていたし、印象としては日本で今問題となっている医療崩壊の方が、もっと厳しいものに見える。それともこれもメディアの切り取り方の問題か?)
ともかく、ワクチン政策の一番の社会的意義は、そこにあると理解している。重症化のリスクを抑えることが、医療現場を助けることになる。
もっと言えば、重症化さえ抑えられれば、医療現場が逼迫しなければ、感染者数が上がっても、再びロックダウンをする必要はないかもしれない。
その辺りがこれからのコロナ対策のあり方として争点にもなるのだろう。
ただ、今はまだワクチンの接種率が全然足りないそうだ。
ドイツのワクチン接種率はここ1ヶ月ずっと60%代で大して伸びていない。
今や、コロナワクチンは予約もサクッととれて、どの会社のワクチンかも選べるほど数が余っている。なんならIKEAの駐車場で買い物ついでに接種出来てしまう。コロナワクチン接種でソーセージ3本プレゼント!とか、ワクチン接種とディスコがコラボして、パーティー会場で接種とかもあると聞いた。ふざけているように思えるけど、こういう機会に接種する人もある程度いるんだとか。
こんなに早くワクチン接種率が飽和状態になるなんて、急いでJ&J社製のワクチンを接種した私はなんだったのか!
と思わなくもないが、仕方ない。これが現実。
デルタ株が蔓延している中、必要な接種率は、年代にもよるが80〜90%だと聞く。ドイツのコロナウィルスの専門家は、このままではまた冬に医療が逼迫し、行動制限などの対策が必要になるかもしれない、と嘆いている。
今現在、重症化しているのは40代50代のワクチン未接種の人がほとんど。より若年層に重症化のリスクが移っているのは明らかで、感染者でいうと、10代やそれ未満の子供の間でも増加しているので、今後その中から、重症化するようなケースが出てくる可能性もあり得る、と。彼は切に訴える。こんな世界的パンデミックに対して、今やワクチンが存在する。それがどれだけラッキーな事か、みんなもっと理解してほしい、と。
もちろん、ワクチンの副反応というリスクが存在する以上、誰かに接種するよう圧力をかけたり強制したりできるものではない。
でも間接的な圧力は今後どんどん強くなっていくだろう。
今、ドイツで主に取られているコロナ対策は「3G」と言って、「Geimpft(ワクチン接種済み)」「Genesen(コロナ罹患済み)」「Getestet(48時間以内の抗原テスト陰性)」の3つの内、どれかに当てはまらないと、レストランの店内利用や施設などの利用が制限される、というもの。現在ケルンでは一日の新規感染者数が200人前後と、店内営業が解禁された7月に比べると上がってしまった為、多くのレストランや施設で「3G」ルールが始まり、お客さんはまず入り口で証明書のチェックを受けることが日常になってきている。
ノビコもそのルールに従って、店内に座りたいお客さんの証明書をスタッフが毎回チェックしている。ちなみに外の席に座る場合は、チェックする必要はない。本当はこんな事コントロールしたくないけども、持ち帰り営業に戻るよりは、このルール下で店内営業を続けられる方がずっと良い。その他にも席数を減らす、お客さんの連絡先の記録、スタッフのマスク着用といった対策は続けている。
行政から今までチェックを受けたことはないし、こういった対策を無視するレストランも実は多いのだけど、ノビコはスタッフみんなと話し合いながら、安心・安全を優先させて出来る限りのことをやってきた。スタッフ全員ワクチン接種済みでも、お互いマスク着用で仕事するし、まだまだ気を抜いていない。
そして今、社会の中で議論になっているのは、この「3G」よりさらに厳しい「2G」にするべきかどうか、ということ。「2G」は、「Geimpft(ワクチン接種済み)」「Genesen(コロナ罹患済み)」のみが対象となるので、ワクチン未接種、かつコロナにまだ罹患していない人はさらに行動が制限されてしまう。
「Getestet(48時間以内の抗原テスト陰性)」を認めない理由は、抗原検査だとウィルス量の多い短い期間でしか感知してくれない為、あまり確実ではないかららしい。
PCR検査で陰性ならどうなのかは分からないけど、PCR検査は有料で1回50€〜70€かかる為、普段使いは厳しい。ちなみに抗原テストは今どこでも無料で受けられ、検査キットも70セントくらいで購入できるのでお手軽だけど、これも10月から縮小されると言われている。検査できる場所自体が少なくなり、無料ではなくなるとかなんとか。
そんな間接的な圧力に加え、ワクチン接種を義務化すべきかどうか、という議論もある。
義務化してほしいと願う人、それはやりすぎだと危惧する人、色々な意見を聞くけど、私個人としては義務化はやっぱりやりすぎだと感じている。
社会を通常運転に戻すためなら、義務化する意義はあるかもしれないけど、そのために個人の身体的自由を奪うのは、大きすぎる代償だと思う。その責任は誰にも負えるものではないから、自分で責任を持って「選ぶ」ことがやっぱり大事なのだと思う。接種するしないに関わらず。
でも、「2G」というルールに反対する気持ちは私にはない。だってコロナウィルスが蔓延している中で、一番危険なのはワクチン未接種の人たちなのだ。ある意味このルールは未接種の人たちを守るためにあると思う。かつ、その中で重症化する人が増えれば、医療がまた逼迫する。
私は正直、医療が逼迫しないための行動制限は、あっても仕方ないと思っている。でも今、未接種の人たちのために、ノビコがまた持ち帰り営業のみに制限される、というのは違うと思う。未接種の人たちがノビコ店内を利用できない事に対し、それは排除だと嫌な気持ちになるかもしれないが、みんなで一緒にどこまでも我慢しましょう!の段階ではもうないんだよな、と心を苦くしながら思う。そんな体力は、もうノビコにも正直残っていない。
今後のコロナ対策に対して議論が絶えない、今のドイツ。ワクチン政策を推し進める中で、どこまで個人の自由を尊重するべきか。みんなが自由意思で、社会への連帯を示すことが理想ではあるけど、コロナ禍での行動や、ワクチンに対する反応を見ても、一筋縄にはいかない難しさがあり、政府からの行動制限や対策指示がなかったら、もっともっと大変な状況になっていたかもしれない。専門家の忠告を甘く見た、バカな判断も時にはあったけど、コロナを完全に軽視するほどの馬鹿な政府ではなかったな。
そんな中、9月26日にはドイツ連邦議会選挙が控えていて、長かったメルケル政権がついに終わる。一体どんなその結果がどんな方向を指すのか。
コロナ禍では特に、民主主義において保証されている「自由」をどう使うか、いつも試されていたような気がする。誰をどの党を選ぶのか、その「自由」をどうか社会全体のために使ってほしいと願っている。(私は参加できないので!)
長く長くなったけど、最後に。
このパンデミックの、私たちのゴールはどこなんだろう?と最近考えていて。
パンデミックが収束したあとの私たちは、果たしてすんなり元の生活に戻れるかな?新型コロナウィルスがもう新型ではなくなって、医療現場が通常運転になっても、この感染症がなくなるわけではない。
ワクチンも万能ではないから、今後接種する人がどんどん増えても、感染する人は出てくると思う。時には中等症〜重症までいってしまう人もいるかも。でも完璧に安全な社会なんてあり得ないし、一人一人に何が起きるかなんて、誰も予想はできない。
今はまだ、ワクチン接種したとしても予防・対策が欠かせないのは当然なのだけど、どの程度?という点で最近は自分も悩むし、ノビコのスタッフ内でも、オープンなコミュニケーションが必要で、お互いの境界線をなんとなく探り合っている。
先日、コロナ禍の中で初めて、20人くらいが集まる誕生日パーティーに参加した。ずっと外にいたけど、マスクなしで色んな人と話すのが、嬉しくもあったけど、後で不安に襲われた。
コロナ対策に慣れきってしまった私たちが、元の日常に戻るためには、気持ちのリハビリが必要で、挨拶で相手を抱きしめるとか(ドイツでは普通)、狭い居酒屋でワイワイ交流するとか、大勢で集まって一緒に何かをやるとか、そういう我慢していたことがどんなに素晴らしいものであったか、ゆっくり思い出して噛み締めていきたいなぁ、と思っています。
↓店内営業再開したノビコ店内にて。
新宿IRAのA3BCから贈られてきた最高にクールな木版画と共に。