2016年1月号
わーわーわー!!!
気がつけばもう、12月、師走ではありませんか!
最近、ドイツ語の習得と週1回の日本食レストランノビコディナーの事に必死で、書きたいことも書くべきこともすっとばして、時間が空けば、ネットで日本のドラマとかお笑いとか観て現実逃避、という日々が続いておりました。
ノビコディナーの事は、また改めて書くとして、2016年が終わる前にさぼりまくっていた4コマ漫画のアップロードをしなくては!(8月、9月はアップ済み)
と思いこの1年に描いた4コマを振り返っていると、まあほんと色々あって濃い1年だったなあと。
2016年の1月も、ドイツにいました。
お試し移住期間で、何のプレッシャーもなく、のんびりドイツ語を覚えてみたりしていた頃。。。
まあ、今の私とさほど変わってないですね!毎日大体、
Ich habe die Lampen an!
です。
ドイツ語の勉強は、もっともっと辛いかと思っていたけど、案外楽しいです。
もちろん簡単ではなく、名詞すべてに付く冠詞が男性(der)、女性(die)、中性(das)、複数(die)かでいちいち変化し、さらに主語なのか目的語なのか等によって格変化し、前置詞もなんでか特定の冠詞とくっついて変化し、動詞もその主語によって変化しまくったり、とにかく細かい!
音なんだろうな、と思っています。日本語で数詞がいちいち変化するように、例えば「1本、2本」の「本」を「ぽん」「ぼん」「ほん」と使い分けているように。
男性(der)、女性(die)、中性(das)を覚えるのが一番大事で、これにははっきりしたルールもないから、発音して一番心地よい音を選んでみて、と先生に言われるけど、その感覚も慣れ親しんだ言語特有のものなんだろうと思う。私の感覚で選んでもよく外れるし。
そういう違いとか、あるいは共通点とか、学べば学ぶほどよくわかり、いつの間に人はこんなに沢山の言葉を操る事が出来るようになったのか、とか。どんな過程で覚えていくのか、とか。今まで気にしていなかった事をよく考えます。やっぱり日本で学校教育で英語を勉強する状況とは違って、言葉通じない不自由さMaxな位置から、徐々に成長している事を実感出来るから、面白さを感じるし、喜びもある。まだまだ三歳児にも劣るレベルですが。。。
なんて、そんな悠長な事言っていられない!12月下旬のドイツ語A1の試験に向けて、がんばらないと!合格しないとビザが下りない!(今はまだ観光ビザで、1月中旬で切れる)
ぎゃーどうしよう!落ちたらどうなるのー?
先の見えないドイツライフは続く、、、
初めの一週間
2016年9月号
広島の十日市にある、音楽喫茶ヲルガン座の1階は、十日市アパートというおしゃれカフェ。同じ系列ながら、ヲルガン座のマニアックで若干入りにくい雰囲気と違い、開放的で気軽に入れる造りになっている。
その結果、こういう風景がしばしば見られます。
昨日で、そんなヲルガン座・十日市アパートでの勤務が終了しました。
この半年広島で楽しく過ごせたのは、ここで、陽気なスタッフの皆さんと働けたおかげです。
開店1年目から、4コマ漫画をスケジュール紙に掲載させてくれ、いつも私のホームだったヲルガン座。働き始める前、何か恩返しが出来たらいいな・・・なんて図々しくも思っていたのだけど、働いてみたら学ぶ事ばかりだし、友達は出来るし、ワークショップもやっちゃったし、自分にとってプラスになる事ばかり。その逆に、与えられた仕事以上の、お店にとってプラスになる事を、私はどれだけ返せたんだろう。
東京に住んでた頃、イズミさんがライブで上京したときは、遊びに行って一緒にお酒を飲み、他愛もない話から人生悩み相談まで、色んな話をするのが本当に楽しかった。
それは広島に帰ってきて、一緒に働き始めるとなかなか出来ない事で、山ほどの業務を抱えながらめまぐるしく動くイズミさんを見ていると、前より近いけど、遠い存在になってしまった気がしていた。そして、まだまだ未熟な自分にぶち当たる。もはや比べてもしょうがないレベルではあるが、、、
そんなイズミさんに今日挨拶に行った。楽屋でツアーの衣装合わせをしているイズミさんの横で、ちびちびビールを飲みながら他愛もない話をした。久しぶりのこういう時間がとても嬉しかった。その後、リハも少し見せてもらっていたら、「どの曲が好き?」と聞かれたので、「本当は何もなかったのかもしれない」という曲だと言うと、アコーディオンで歌ってくださった。
実は、いつかチャンスがあるなら、この曲をリクエストしようと決めていたのだ。
夢がかなって良かった。じんわり響いて、ホロリと涙した。
私は心底、ゴトウイズミのファンなのだと思った。
イズミさん、本当にありがとうございます。
またいつか、一緒にお酒飲みながら、おしゃべりしましょうね!
NO LIMIT 東京自治区、からの、これから。
9月に東京で開催された、一週間ぶっ通しのイベント、NO LIMIT東京自治区。あれは一体なんだったんだろう、いまだに考える。
デモの後のライブイベントで、ドイツから来たパンクバンドLambsのライブを観たとき、私も彼らと共に「やり切った・・・」と思った。日本ツアーにも関わり、9月から一番一緒に過ごしてきたからか、言い過ぎかもしれないけど一緒に鳴らしているような気分になった。感極まり、何も言えずぼ〜っと眺めていた。
9月9日はドイツのパンクと広島のパンクがJUGEMUで観れる!
告知!
9月9日(金)、広島JUGEMUにて、こんなライブイベントやります!!!
ブログにもよく登場している、のび太(ドイツ人)のバンドLAMBSと、その友達のバンドKACKSCHLACHTの、西日本ツアー広島編です!
対する広島のバンドは、絶望ルーシーと金族バット!
どちらも本当に観るのが楽しみで、この形でイベント出来る事をとても嬉しく思っています!これもそれも、バンドに声をかけてくれた、りょうすけ君のお陰。ほんと感謝!
絶望ルーシーはまだ十代のパンクバンドで、ボーカルのレンヤ君の、大阪の専門に行こうとするメンバーを広島に引き止めるエピソードが、横暴だけどとても好き。広島のパンクバンドでいたいってところも。
金族バットは一度観たことあって、ボーカルのエマニエルさんのMCが天才的に面白く、いつまでも聞いていたいと思った。今回、ベースに新メンバーを、ドラムに少年フォークのりょうすけ君をサポートとして迎えての参加!
そして、ドイツの2バンドについて、ちょっと紹介。
ドイツ、ケルンの DIY パンクシーンの中から生まれた5ピースバンド。90 年代のエモコア的サウンドで、 政治的かつ私的な事をテーマにした曲が多く、社会のルールや自分の感覚にさえも疑問を投げかけている。 力強いサウンドながら、弱さや迷いを表現する彼らのスタイルは、Lambs(仔羊)というバンド名にもぴったり。結成して2年、今やドイツの DIY パンクシーンの中で、重要な存在となっている。
ドイツのブラウンシュヴァイクを拠点とするツー ピースパンクバンド。サウンドは、分かり易いパンクだが、そのシーンを皮肉った歌詞も多い。「反ドイ ツ」「反仕事」「反警察」といったシンプルかつ政治 的なテーマも、何故か彼らが歌うと、ハートウォーミングに。尖ったパンクスの心も丸くなること必至。 小柄でひげ面というマヌケな風貌も、重要なポイントだろう。そして、2人共ビールが死ぬ程好き。因にバンド名の意味は、「ウンチ合戦」。かなりアホっぽいネーミングだが、ブラウンシュヴァイクでのラ イブをオーガナイズするなど、DIY パンクシーンを 盛り上げてくれている。
ドイツに2ヶ月滞在していた時、どちらもライブ観たし、つたない英語でメンバーとも交流して。音楽的にも人柄的にも、とても好きになりました。
だから、これはぜひ、来て観てほしいです。
投げ銭なので、お気軽にね!
そして、会場のJUGEMU。広島で45年続く、老舗のミュージックBarです。
45周年記念のイベントをヲルガン座でやって、100人以上が駆けつける、そういうBarです。
ここで、パンクのライブをすると言うと、大抵驚かれるけど、「出来るよ〜!」と言ってくれたので、やります!懐が深い場所なんです。
何か起きそうな予感しかなくて、ワクワクどきどきしている。
色んな意味で事件になる可能性大!
ぜひ、目撃しに来てください。そして、一緒に飲みましょう!
【日時】9月9日(金)
OPEN 19:00 / START 19:30
【場所】Music Bar JUGEMU
【料金】投げ銭制+1 drink order
【出演】金族バット
LAMBS
絶望ルーシー
KACKSCHLACHT
(出演順)
因みに、LAMBSとKACKSCHLACHT、日本ツアーの詳細はこちら!
お近くの方、ぜひチェックしてみてね!
2016年8月号
8月15日。終戦の日。
私は知らない戦争、71年前に終わったとされる戦争が、今と地続きであること、本当は終わっていないこと、変わっていないことがあるという事を、忘れちゃいけないって思う。
核爆弾が2発落とされた国に、その同じ核の力を利用した原発が54基もあって、福島での原発事故で安全神話も崩れ、再び核の脅威を思い知ったはずなのに、今また3基の原発が再稼働し、原発をやめるという決断が出来ない日本。
同じように71年前は、戦況悪化を誤摩化し続け、戦争をやめるという決断が出来なかった日本。
国家権力者が広島長崎の平和式典などで使う、「尊い命」という言葉ほど白々しいものはない。71年前も今も、私たちの命が政府から尊ばれた事などないんだ。
私たちの命が尊いなら、憲法の解釈を変えてまで、集団的自衛権の行使容認などしないだろう。沖縄の米軍基地移設、ヘリパッド建設に非暴力の抵抗をする人々に対して、何百もの機動隊を集め、暴力で排除することなどしないだろう。オバマ政権の核兵器「先制不使用」政策にわざわざ反対なんてしないだろう。
私はやっぱり国家権力をもった人間の言葉って、信じられない。
多くの人がすばらしいと言った、オバマの広島でのスピーチもそう。
予定調和的な平和教育の後に書かされるよく出来た感想文、ぐらいの印象しかなかった。
この日、沢山の人が一目オバマを見ようと川沿いに集まり、西飛行場を見つめていた。広島の空を軍用ヘリやオスプレイが飛ぶのを見て、私はやっぱり嫌悪感しか浮かばなかったよ。71年前の広島の上空を思い浮かべ、これが日常の沖縄の空を思い浮かべ、地続きの今を感じた。
でもこれは、アメリカに対する嫌悪感ではなく、やっぱり権力に対する嫌悪感だ。
アメリカと日本の、権力者によって、政治的に広島が利用されているように思えて仕方なかった。
キレイで感動的な言葉と表面上のストーリーに騙されて、いつの時代にもある、国家の暴力が見えなくなってはいないか?
まあ、大多数の力をもった政治家なんて皆ロクなもんじゃないから、何も期待せず、巻き込まれず、自分たちのやり方で勝手に暮らせてしまう、国を越えたコミュニティを作った方がいい。
それで、国家権力もったやつらに、ざまあみろ!と言ってやりたい。