ニコニコ通り

漫画、木版画、イラストなどなど、製作中。

2022年8月号

去年の休暇で、唯一残念だったこと。

この温泉地、ホント凄いロケーションで、オーストリアのアルプスの谷間にある田舎の街なんだけど、でっかいホテルが建ち並び、街のど真ん中をでっかい滝がドドドドッと貫き、360度アルプスの頂きに囲まれている、夏はハイキング、冬はスキーのいわばザ☆観光地なんである。

しかもケルンから電車一本で行けちゃう!10時間以上はかかるけどね。電車だと動き回りやすく、狭苦しくないので全然平気。

そんで電車から降りて、徒歩10分でこんな景色に出会えるなんてそんな便利なことってある?

 

 

 

 

なんでもこのホテル群、戦後にバンバン建てられたのち一度は観光地としても廃れたらしい。だから中には廃墟ホテルもちらほらあるし、古いまま中を改装してるだけの建物もあってそれがまた良い雰囲気。新しく建て直されたホテルもたくさんあるけど、やっぱり見た目には全く面白くない。

私たちが泊まったゲストハウスも古いホテルを改装したらしく、アインシュタインが滞在したこともある、とかで、雰囲気めちゃくちゃ良かったんだけど、残念ながらこの旅行の後iphoneがぶっ壊れて写真のほとんどを失くしてしまった。。

キッチン共用だし、ボロいし、なんとなくスクワットっぽい自治スペースっぽい感じがあって、スタッフさんもどこに居るかわからんし、色々適当で最高だった。

 

そして私たちの旅の主な目的はそう!ハイキングと温泉、だったのだけど。

4コマに描いた通り、温泉とは名ばかりの温水プールだったのはとてもとても残念。

でもサウナの丸一日コースで、身体はしっかり温まり、日々の疲れとハイキングの疲れを癒すことができた。ハイキングも毎日のように行くと、疲れを通り越してどんどん元気になってく感じがあって、休暇から帰ってきたとき、この身体作りを維持せねば!とお家で有酸素運動を始めてみたけど、すぐやめたよね、やっぱり。。

アルプスの大自然の力はやっぱり偉大だ!ズボラな私が毎日ストレッチまでしてハイキングに挑んだのだから。

ちなみにオーストリアもサウナは男女共用の裸スタイル。慣れればこんなのは大したことではなく、私も普通に裸を晒して楽しんだ。リラックスルームみたいなところで、おばちゃんが真っ裸で足広げて本読みながらうたた寝してるのを見ると、もはやここは極楽浄土か?というくらい平和で自由な空間なのだった。

 

そしてもう一つ、この旅でのハイライトは、標高2000m以上の高地にしか生えていない、ヨーロッパハイマツに出会えたこと。

のび太がどうしても直に観たいというので、最終日の前日、ヒーヒー言いながら山を登った甲斐があったもんで、ヨーロッパハイマツが何本も立ち並ぶ素敵な散歩道を二人占めできました。シーズン前ということもあって、私たち以外誰もいなくて、ホント最高だったなー。

 

この木の香りは安眠効果があるということで、実際に木肌や枝葉を匂ってみると、確かにとても癒される良い香り。オイルや石鹸などになってこの地域の名産品にもなっている。こんな木、知らなかったけど、のび太のおかげで貴重なものが見れて大満足。

 

思い出を感動した景色を写真に収めてはみるものの、写真だけではなかなか伝わらない自然の偉大さと、その時の体感を忘れたくないなぁと思うし、いつかまたもう一度!と思わずにはいられない。

オーストリアのバドガシュタイン。

ここはまた再訪する予感!

 

 

 

 

 

2022年7月号

私の7年間の東京生活の中で、最も親しみ深く、居心地のよかった町は、やっぱり高円寺だった。沢山の人と知り合い、語らい、酔っ払った、色んな思い出が町そのものに染み付いている感じで、目的なんてなくても、ここに来れば何かがある。それはつまり人とのつながり、コミュニティを強く感じるからこそだと思ってる。

 

そんな高円寺が再開発の危機にあると聞いたのはいつのことだったか。

もうドイツに移住はしていたと思うけど、計画通り進めば、駅を挟んで南北をつなぐでかい道路が出来、北側の今ある二つの商店街がなくなってしまう、と聞いて、いやいやいや、あり得ない!と。高円寺の魅力をわざわざ壊すような、再開発って一体何?誰がほしいの、そんな計画?あまりにも高円寺に似つかわしくない。

当時もデモをしたりと反対運動が盛り上がってたのを覚えているが、完全に計画が消えたわけではなかった。行政側は「住民の合意が得られるまでは街の再開発はしない」と言っていて、じゃあ住民である我々の気持ちを無視することなんてないよね?良かった良かった!なんて安心してしまいそうだけど、むしろそういう表向きには進んでないように見せてる時が一番危険。水面下で土地の所有者への根回しを進めていて、いざ計画が表に出てきた時は、もう時すでに遅し。。。そんな再開発の定番パターンにハマらないためには、今のうちに再開発なんていらないよ!という声を上げ、テーマとして表に引きずりだし、はっきりと計画の中止を明言してもらわないと!という主旨、を素人の乱残党ラジオで知った。それが2022年の春頃の話。

なんでもラジオからの情報によると、でかい道路を作る気まんまんの杉並区長が、西荻窪の再開発に伴う説明会かなんかで、庶民を上から目線で小馬鹿にした態度を取ったとかなんとか。本来なら区長として住民の理解を求め、ヘコヘコお願いをする立場の人間がそんな舐めた態度をとるもんだから。じゃあこっちもやってやんよ!とばかりに、高円寺や西荻窪一帯の街そのものを作ってきた商店主、そこにたむろするお客さん、その街に生き、その街の今のあり方を愛する有象無象が再び集結し、2022年5月、「高円寺に再開発は要らないパレード」決行!したそうで、うわあいいなあ、参加してぇ〜!とケルンで指をくわえて見てたんでした。

まあ、高円寺の再開発の話とパレードの話は、私も下記の松本哉さんの記事を参照したし、もっと詳しく載ってるので、読んでみてください。

ameblo.jp

maga9.jp

maga9.jp

上の記事での松本さんの言葉。

『“高円寺”というのは別に単なる地名でも駅名でもなく、こういう人の繋がりのことこそを“高円寺”と呼ぶんだと思う。当然、今回のパレードに来てない人たちも含めて。そして、再開発をされていない状態だからこそ、その意味での“高円寺”ってものがまだ存在してる。でも、もしくだらない再開発で商店街がなくなり、でかい商業施設やタワマンができたりしたら、“高円寺”に無関心の人たちが大量に流入し、街の人々の関係性は一挙に薄れ、それこそ“高円寺”は消滅し、ただの地名と駅名としての空虚な「高円寺」が残るだけになってしまう。それは別の町でもそうで、“西荻”とか“立石”ももちろんそうだし、日本中や世界中の街に言えることで、その街をウロウロしてる人たちの謎の繋がりと人間関係と、そこから発生する謎の営みがその街の名前。人の営みが見えなくなった街は、もう“街”ではない。』

 

とても胸が熱くなった!

自分の今住んでる街、ノビコのある街もそうだけど、ただそこで生きてるだけでなく、自分たちもその街の営みの一つであるし、これからもそうでありたい。

近所で大きなオフィスビルが建てられたりしていて、その計画がいつ生まれたのか知る由もなかったが、そういった再開発の動きは、世界中どこにでもある問題なので、この高円寺の再開発の件、全く他人事ではない。

ドイツのケルンに住んで6年。私にも好きな街があるし、その街を営む人々とのつながりをもっと感じられるよう、目ぇかっぴらいて街で起きていることを知っとかんと!と思いました。

そしてなんで今私は、こんなに一生懸命この話をしているかと言いますと、、、

 

昨年の6月に、そんな高円寺の動きに触発されて、自分なりの再開発反対4コマ漫画を描いたのを、紹介したかったからでした!いや今更で本当にすみません。。。

 

勝手なイメージで、極端な話に思えるかもだけど。防災に一番大事なのは、道路よりもコミュニティだと本当に思う。コミュニティや人々の営みを無くさない上で、自分たちの街の安全のために、何が必要なのか、別の対策を考えていくべきだよね。

 

ちなみに。

この「高円寺に再開発は要らないパレード」の後に行われた、杉並区長選では見事、悪代官のような前区長を引きずり落とし、再開発慎重派の女性区長が誕生!いや〜、素晴らしい!でもやっぱり計画が完全に消えたわけではないので、高円寺に再開発はいらない!という声はこれからも上げていかないとね!

 

 

 

2022年6月号

ノビタも私も自炊をよくするけど、スタイルの違いに気づくことがよくある。

ノビタはなんでもシンプルにこだわって作るのが好き。

材料の組み合わせもコレにはコレを合わせる!という明確なイメージがあって、余計なものを入れたがらない。多分、作りたいもの食べたいものがまず頭の中にあって、そのイメージ通りのものが食べたいので、私が適当にコレコレ作ろうか?といっても、いやなんか違う。と断られることもしばしば。まあその時は、自分で作るか食べに行くかしているからなんの文句もないけど。

一方私は、ズボラなのであるもので良いスタイル。

誰かが作ってくれるなら、いつ何時に何を食べようとほぼ関係なくありがたくいただく。なので必然的に二人で食べる時は、ノビタが作ることが多いし、私が作る時はもうレシピが固まっている料理か、インスタントラーメンくらいである。

自分一人のために作る、となると、漠然としたイメージで適当に作る&色々入れたがるので、なんだかよく分からないものが出来ることが多い。

そんな私あるあるを、4コマ漫画にしたんでした。

 

そうは言っても、今日はコレが食べたい!と思えば一人でもわざわざ買い物に行って、ビールで優勝を目指して手間ひまかけて料理しますよ?一人で食べる時は、ノビタが好きではないものをガッツリ食べるチャンスなので、納豆とか砂ずりとかパクチーとか用意してさ。あと一人鍋とかいまだにやるしね!みんなでやる鍋とはまた違う自由さがあって、いいんですよね。

あー、そんなこと書いていたら、今日の晩御飯悩むなぁ。

ノビタが弟家族のところに行ってるので今日も一人ごはん。

家から一歩も出ず適当に済まそうと思っていたけど、さてはて。

とりあえず昼飯として蕎麦でも湯がこかなっ

そんな貴重な休日。

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月号

もはや2022年も11月で、一体どうして毎月4コマ漫画をアップするくらいのことが出来なかったのか、愕然としております。。。

いつものことと言えばそうなんだけど、なんか今年は特にブログのことを考える余裕もなく、あっという間に過ぎていったようにも思う。

4月についにコロナに罹患したことも、まるで遠い昔のよう。

その後描いた4コマ漫画がこちら。

いやー、こんな風に4コマ漫画のネタになるレベルで済んで、ほんとに良かった。

他の症状としては微熱、咳、鼻水といつもの風邪より少しきついかなってくらい。喉が異常に痛かった。あとは、陰性になってからも1ヶ月くらいは息苦しさが続いて、喘息の薬を服用したけど、後遺症というレベルではなく、病み上がり状態が長引いてた感じ。

今回、ノビタが先にコロナに罹患して、最初の数日は家庭内隔離だったので、食事も全部別々、顔を合わせる時はマスク着用、かつ長話はしない。それがかなり面倒くさく、私も陽性になった時は、家で自由に過ごせるのが嬉しくて、少しほっとしたくらい笑。

買い物はネットスーパーを頼み配達もしてもらえたので、いつも通り好きなものが食べれたのも良かった。ドイツでは行政から食品が送られたりとか、ホテル療養とかそんなサービスはなく、軽症の場合は自力の自宅療養が基本。もし周囲とのつながりが希薄で一人暮らしだったら、と思うとさぞかし心細いだろう。

時期的にワクチン接種もかなり浸透したあとだからか、町医者でのPCR検査と診療もかなり軽いもので、5分もかからない内に終了。医者さんも医療マスク一つの軽装備で、大丈夫なんか、、、?と心配になったほど。

私自身、ワクチンは3回接種済みの中、今回罹ってみて、だいぶコロナへの警戒心が溶けたというか、世間的にもインフルエンザのようなよくある病へと意識が変わってきているのを感じる。

とはいえ、とは言えですよ。

コロナに罹った後の、後遺症の怖さというのを忘れてはいけない。

経営者3人のうちの一人Kiseさんも6月にコロナに罹患。軽症でちゃんと回復したと思った矢先、尋常でない身体の疲れなどに襲われ、7月から今までもう4ヶ月以上、コロナの後遺症に苦しんでいるのだ。後遺症初期は、だるさ、息苦しさ、めまいなどに加え、頭もぼうっとするとのことで、全く働ける状態ではなくなった。2階から1階に階段で降りただけで、もう息切れがする、とかもう普通ではない。その後、波がありながらも少し回復し、今は、短いシフトで働いてみて様子を見つつ、徐々に長くしていくっていう、ハンブルガーモデルというやり方を試している。が、ここ数ヶ月、快方に向かっているとは言い難い。

もともと、一日8時間〜10時間働くような人だったので、この落差は本人としても相当つらいはず。

かつ、ノビコの他のメンバーの病気や休暇も重なり、7月からもうずーっと、人手不足。新しいスタッフを雇ったり、営業時間を短縮したり、たまには臨時休業をしながらもなんとかやってきた2022年でした。。。

秋から天ぷらを再開するために準備していたのに、こんな状況ではとても始められず、おそらく来年になっても、しばらくは無理そうだ。

コロナの後遺症は、明確な治療法がなく、先が見えない。

どれくらい続くかは人それぞれ。

Kiseも色んな医者を訪ね、検査して、できることを模索する日々。

とにかく休んでほしいけど、私たちも限界まで働いている中で、ノビコを維持するためには、彼の力は必要不可欠で。仕事好きな人だから、自分から進んでできる限りシフトを取ってくれてるけど、それで本当にいいのか?と悩む日々。

新年になっても快方に向かわないようなら、新しいキッチンスタッフを募集しないといけなさそうです。

 

そんな彼の姿を見てきたからこそ、改めて思うのだ。

やっぱりコロナを甘く見てはいけない、と。

 

 

 

2022年4月号

ロシアがウクライナに侵攻を開始して、100日が経過した。
そんなニュースをオーストリアでの休暇中に目にした。
YouTubeを開いて、戦況に関する日本語のニュースをチェックする。無惨に殺された市民のこと、厳しい避難生活について、戦争に関する山ほどの情報に触れることにも慣れてしまった自分に気づく。
アルプスでハイキングを楽しみ、サウナに行ったりレストランでビール飲んだりしながら、時々戦争のことを気にして、パートナーのノビタと話題にしたりする程度で、私の生活は平和そのものだ。

そのことが、ひどく申し訳ないような気持ちになることがある。
戦争が始まってすぐの3月初め頃は、人並にショックを受け、動揺もして、各国で巻き起こる反戦の声やSNSでのリアクションに耳を傾け、自分は何が言えるのか、悩んだりもした。ウクライナへの連帯の気持ちと、戦争が起きているのはウクライナだけではないのに、特別注目していることへの不平等感、多くの人が「国」というフィルターを通して人やモノをジャッジし始める気持ち悪さ、EU各国のウクライナへの武器支援について、色々思うことがありすぎて、「戦争反対」を掲げるだけでは足りないような、でも結局それしか言えないような。
モヤモヤ悩んだり、ロシア政府の言い分に腹を立てたり、たくさんの市民が巻き込まれていることを悲しんだりしながら、日々は過ぎていき、ウクライナでの戦争が、何だか日常のひとつになってしまっている事に、ふと気づく。

そんな風に慣れてしまう怖さもあるけど、でも本当に怖いのは、慣れに任せて忘れてしまうことだと思う。私たちの日常も、世界のどこかの戦争と関わりがあることを。鏡のように、同じ状況が自分の住む街にも起こり得るかもしれないことを。
それを理解するために、自分が住んでる国が他国と歴史的、経済的にどう繋がっているかを知るのが大事だし、戦争に自分たちの日常を破壊されないために、どういう方向に進むべきかを考えた上で、選挙にいくことや、お金の消費先を考えること、助け合える仲間を作ることが大事なんだと思う。自分達が「平和」のためにできることって、そういうことしかない。(私はドイツで選挙権ないけどね!)
3月中ば頃、そんな気持ちを、自戒も込めて、4コマ漫画にしてみた。

 

日本でもすでにそうかもしれないが、戦争の影響による物価の高騰は免れない。
ロシアからの石油の輸入がストップ→石油が足りなくなる→ガソリンが高騰→商品の輸送費が高騰→物価の高騰、という流れ。
ドイツのロシアへの天然ガスの依存度はもっと深刻なので、普通に家のガス代がどうなるのか心配だ。
ちなみにEU全体として、ロシアからの石油を輸入しないことを取り決め、ドイツはすでにストップしている。天然ガスについては稼働予定だった直通ライン、ノルドストリーム2は承認停止し、すでにあるノルドストリーム1は現在も稼働しているが、ストップすることも検討している。

こんな現実を突きつけられたところで、じゃあどうすれば、と思うかもしれない。
ドイツがエネルギー面で、ロシアに依存していることは、どうしようもないことなんだろうか。
そう思わされているだけで、輸入に頼らない持続可能なエネルギー政策があるとしたら?
暖のとり方も工夫次第で省エネできるのでは?

電気自動車がもっと普及されたら?

そもそもの移動手段を見直してみては?

輸送エネルギーのあまりかからない、産地を選んでみては?

急に状況が好転するわけではないけど、自分の手が届く範囲で変えられることがないわけではない。

ノビコでの材料の仕入れでも影響は大きく、特にアジアからの輸入品は、物価高のみならず品物が入らない事も増えてきている。品薄なのは、コロナの影響もあるかもしれないが。

一番大変なのは、食用油と小麦粉の不足で、一時期は、業務用がないから近くのスーパーを片っ端から周り、かき集めるしかなかったり、あっても値段が今までの3〜5倍はしたり。

でもこの問題の始まりは、みんなの戦争への不安から起きる、買い占めが一番の原因で、ドイツの小麦粉のほとんどは、自国産で賄えるのだそうだ。食用油もひまわり油はウクライナやロシアから来るが、菜種油も手に入らなかったのは、やっぱり買い占めによるものだと思う。
ノビコも一時期コロッケの提供をストップしたり、炒め油にはマーガリンを使用したりもした。さすがにうどんが作れなくなるのはマズイので、小麦粉はメーカー問わず色々試したけど、いつものようなうどんが作れず、種類は同じでもメーカーによってこんなに違うものなのか!という発見もあった。その後はぼちぼち手に入るようになり(値段は2〜3倍するが)、小麦粉は新たな仕入れ業者を見つけたり、油は、もともと高い為値段の変動がほぼなかったオーガニック油を、これを機に使い始めたりしている。
近場のものをフェアな値段で仕入れることは、ノビコにとって大事なテーマではあったけど、こんなに切実に考えるべき時が来るとは。秋から天ぷらの再開も考えているが、揚げ物油をどこから安定的に仕入れることができるのか、悩みどころである。

 

ドイツ政府はというと、こういった物価の高騰による生活への圧迫を配慮し、3つの政策を始めた。
一つ目は、ドイツ国内どこでも、一ヶ月9ユーロで電車・バスのり放題(特急は除く)のチケットの販売を3ヶ月限定で販売。6月から始まり、私ももちろん購入予定。9ユーロならケルン市内に2回行くだけで元が取れてしまう、お得さだ。
二つ目は、ガソリン代の税金免除。これでガソリン代は多少安くなるはずだったんだけど、ガソリンの会社がズルして値段を下げず、税金分丸儲け状態になり、早速問題化しているそうだ。。ただでさえ戦争の影響でボロ儲けしてるくせに!ほんとでかい会社はやることがセコイ!
三つ目は、ドイツ国内の就労者全員に300ユーロを給付する、というもの。子供や学生、年金受給者は対象外。これはまだ給付されていないけど、色んな議論が巻き起こりそうな予感。。。
何にせよ、ないよりは断然あった方がいい政策だし、試してみる価値はあると思う。

自分としては9ユーロチケットが一番嬉しいけど、多くの人が電車を使い始めて、満員電車になったり、本数や人員など鉄道会社のキャパを越える可能性もある。でもそれで止めるよりは、新たな課題として取り組んで、安い電車のチケットは今後も維持して欲しいなぁ。

こういう政策が出てきて、ドイツ政府は素晴らしい!なんて思う人がいるかもしれないけど、本当に素晴らしいのは、政府が市民の生活を無視しないよう、しっかり見張って批判もちゃんとして、無視出来ない空気を作ってきた有権者のみなさんだと思っている。もちろん完璧な政府など存在しないし、この政策にも批判はたくさんあるだろうけど、それでいいのだ。批判も議論も常にあるから市民の力が衰えない。

そうやって市民の力を見せつけておかないと、政治権力を持ってる奴らは暴走するって、ロシア政府見てたら明らかだもんね。まあ今のプーチン政権の暴走をロシア市民のせいにするのは浅はかだけど。
日本も今年の参議院選挙、どうにか反自民勢力を拡大しておかないと、次の3年、何が起きるかわかったもんじゃない。もし自民党憲法改正なんてされたら、それこそロシアの二の舞のような、生きづらい世の中になるんじゃないか?国政選挙は、私もドイツから投票できるので、他人事ではない。

 

日常と、社会と、政治と、戦争と。
切っても切り離せない中で、私たちも生活しているんだと、何度も何度も。
どうせ慣れるなら、そういったことを知ること、考えることに慣れた方がいい。

 

色々長々と書いたけど、私もまだまだ、道半ばです。

 

 

2022年3月号

海外では、日本食を楽しむ上でお箸を使う、というのは多分ひとつのイベントのようなものだ。

ノビコでもほとんどの人が、楽しそうにお箸で食べている。

それが大事なマナーだという意識もあるのだろう。

だから、たまにこんな事も起きる。

 

私たちにとって、お箸は便利だから使うものであって、料理によっては便利ではないので、簡単にスプーンやフォークに切り替える。

でも食文化的にお箸を使わない西欧人にとっては、お箸を使う=マナースキル、なので私が食事の席にいると特に、頑張って箸を使おうとする。それがもしカレーやチャーハン、ビビンバのようなスプーンが圧倒的便利な料理でも。

そんな彼らを横目に、私はあっさりスプーンを使いますがね。

 

そんな風に、箸を使うことで異国の食文化へのリスペクトを示してくれているんだ、と思うと、ほほえましい限りだけど、うっかり「お箸、上手ですね〜」なんて褒めたりするのは、NGらしいですよ。

マナーなんだから出来ないと恥ずかしい、くらいに思ってるのに、上手ですね〜、なんて言われると馬鹿にされたように思うんだって。まあ逆に、私たちが西欧料理のコースなんかをスプーン、フォーク、ナイフ使ってお行儀よく食べてるのを、必要以上に驚かれたら、ばかにしてんの?って確かになりそう。

 

異国の食文化へのリスペクトで言うと、エチオピア料理を食べに行った時は、やっぱり手で食べることにチャレンジしたい。同居人だったエリトリア人と一緒に行った時、あまりにスピーディーに、かつ美しく手で食べているのを見て、これもまたマナースキルだな、と思った。私とのび太がもたもた食べてるのをみて、コツも教えてくれたけど、意外と難しかったのを覚えてる。

 

つまり世の中には、一番上品で便利な食べ方、なんてものは存在せず、それぞれの料理に相応しい、一番便利で美味しい、かつ楽しい食べ方があるだけなんですね。それは国によって、人によって、状況によって違う事もあるわけで、結局正解なんてない。

あるいは、文化やマナーなんて気にせず、色んな道具を試してみれば、新たな食べ方の発見もあるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月号

私のように自転車を愛用している人が、たぶん口を揃えて迷惑がっている乗り物、

それがコイツだ。

電動キックボード、というこの乗り物。数年前から一気に普及し始めたのには、それなりの政治的理由があるようで。

なんでも、気候変動問題に対する取り組みのひとつとして、温室効果ガスを出さない新しい移動手段をつくろうとする流れから、政府がらみで推進された、ということなのだ。おそらくシェアリングという形式も、その一貫なんだろう。

けど。

それならさー、自転車でもいいよね?と思っている人はきっと少なくないと思うんですよね。だって自転車なら電気さえ要らないんだし。

そのちょっと前には自転車のシェアリングも流行ってて、それは確かに意味あるなぁと思ってた。わざわざ購入しなくてもいいし、旅行先とかでのちょっとした移動には便利だろう。

でもやっぱり電動の楽さには勝てない、ということなのか。それとも電動キックボードがスタイルとして格好いいとされているのか。

よくわかりませんが、自転車でえっちらおっちら漕いでる横をスイーッと電動キックボードで追い抜かれると、ちょっとイラッとするし、道のど真ん中に乗り捨ててあるのをみると、「自転車組に喧嘩売っとんのかワレェ」という怒りも湧いてくるってもんである。

 

こんな余計な政策でエコを進めるくらいなら、自転車道をもっと整備するとか、電車代やバス代を安くするとか、やって欲しいことは他にあるんだよ!と言いたい。

もっと言えば、ドイツは凄まじい車社会で、高速道路はタダ、制限速度もナシ、街中の空いてるスペースは駐車し放題(駐車場として指定されているところは有料)、と車は特に甘やかされすぎている。車メーカーが経済的に強いからなんだろうけど、エコ推進国が聞いて呆れるわってくらい、奴らに甘い汁を吸わせすぎである。

まあ車に対してもうちょっと厳しくしたところで、普通の国レベルになるだけで、褒められたもんじゃないけどな!

(車との接触事故以来、車嫌いが加速しております。ご容赦ください。)

 

あれ?車に対しての悪口たたいてたら、電動キックボードなんて可愛らしいもんに思えてきたな。

ま、ご利用のみなさんには、マナーと安全運転をしっかりしてもらえれば、実際のところ文句はありませんよ。

自転車とも共存して、仲良くやっていきましょう!