ニコニコ通り

漫画、木版画、イラストなどなど、製作中。

平和を望み、必要とする人々のために

今、パレスチナイスラエルで起きていること。

そして、今までパレスチナイスラエルで起きてきたこと。

 

10月7日のイスラエルでのハマスによるテロが起きて以降、この問題について考えない日はなかった。

自分なりに歴史を調べたり、色んな立場から発せられる声に共感したり、困惑したり、それをノビタと話したりする中で、この問題の難しさをひしひしと感じています。

難しくない!と声を上げる人も多く見たけど、正直そうは思えない。

パレスチナイスラエルか、どちらのサイドに立つのかを明確にしないといけない圧力も感じるけど、正直それが正しいとは思えない。

 

ドイツでもたくさんのデモや集会が行われている。体感で言うと、親パレスチナのデモの方が多いように思う。テロで犠牲になったイスラエル市民を追悼するイベント等も見たけど、ガザ地区でのミサイル攻撃による多くの市民の犠牲、西岸地区でのイスラエルによる入植活動、差別、そして虐殺が取り沙汰される中で、イスラエルへの批判はここドイツでも盛り上がっている。一方でその動きを懸念する人たちもいるし、ドイツ政府は親パレスチナ運動が反ユダヤ主義につながる可能性があるとして、運動への取り締まりを日に日に強化してくる。そういう中で、ドイツに住むユダヤ人への差別も、逆にイスラム教徒への差別も増えていて、社会の中での分断が深まっているように感じる。

 

私はドイツに来るまで、イスラエルに対して漠然と悪いイメージしか持ってこなかった。圧倒的な武力で弱い者いじめをしている、強行的な姿勢で土地を奪いパレスチナを支配している、そんなイメージだ。それはある意味正しいかもしれないけど、そのイメージの中にイスラエル市民の生活やこの長きに渡る紛争への思いが抜け落ちていたことに気づいた。イスラエルに休暇に行く人、バンドツアーをした人、イスラエルのアクティヴィストと繋がり、トークイベントを開催したり、一緒にこの問題について考えようとする動きを身近な人から聞いた。あるいはイスラエル国内で巻き起こったネタニヤフ政権への反対デモをニュースで聞いたり、イスラエル内の学校でユダヤ人とパレスチナ人が一緒にお互いの文化を学ぶ取り組みを知ったり。そんな人々が居るのは当たり前と言えば当たり前なんだけど、ドイツにいることで以前よりもイスラエルについて知る機会が増えたし、ホロコーストイスラエル建国の繋がりについても、意識することになった。

その上で、ホロコーストという史上最悪の反ユダヤ主義の歴史を持つドイツだからこそ、イスラエルの存在を否定する事は出来ない、という理屈も理解できる。そしていまだに社会に残る反ユダヤ主義に敏感である事、そしてその差別と闘う姿勢は、悲惨な歴史を繰り返さないためにも大事なことだと思っている。

 

とはいえ、最近の親パレスチナ運動への政府の圧力はやり過ぎだと感じるし、ドイツ政府はイスラエルに対し、停戦への圧力をもっとかけるべきだという声もあるし、私もそう思う。

 

イスラエルの建国により、住んでいた場所を追われ故郷を失った多くの人たちが居て(逃げざるを得なかったのは、パレスチナ人だけでなく、周辺国に住んでいたアラブ系ユダヤ人もまた、迫害によりイスラエルへと移住したそうだ。)天井のない監獄とも言われるガザ地区で、自由な生活を奪われ空爆に晒されて生きる人々を思うと、その後の幾度にも渡る戦争で日常的な差別と暴力に苦しむ人々を思うと、イスラエルの建国そのものが間違っていたのでは?と感じても仕方ないのかもしれない。

 

でもそこから75年もの月日が流れて、イスラエルでは、ユダヤ人もアラブ人もパレスチナ人も色んな宗教、人種が共存している。パレスチナ人、アラブ人への差別もあるけど、その中でお互いを認め合い平和な社会を目指そうとする市民もいる。忘れてはならないのは、彼ら=イスラエルの政府、軍隊ではないということ。

ガザを実効支配するハマスに対してももちろん同じことが言えて、ガザの平和を望む市民=ハマスではないということ。

両サイドに過激な思想を持った人間がいて、武力で暴力でその思想を押し通そうとして、プロパガンダでそれを正当化し、それに巻き込まれる人々がいて、そこから生まれる悲しみと憎しみの連鎖がどこでもかしこでも起きている。

そのことを思うと、私は簡単に親パレスチナか親イスラエルかを選ぶ事は出来ない。

この問題を難しくないと言って、簡単にどちらか一方のみを批判する事は出来ない。

どちらかのサイドに立つ必要があるなら、平和を望む市民の側に立ちたいし、簡単に言う必要があるなら、お互いの辛い歴史を共有し、お互いの存在を認めあうしか平和への道はない、ということしか言えない。

その上で私が批判したいのは、人質の安全をも顧みぬほど強行的に無慈悲にガザを空爆し、西岸地区での入植活動をサポートするイスラエルのネタニヤフ政権であり、ガザで人間を盾にし病院や学校まで戦場とし、国際的な支援物資でさえも独占するハマスである。

 

そんなことをノビタと毎日のように話していて、世界の左翼シーンから聞こえてくる声とのギャップを感じ悩んでる中で、私たちと同じように感じている人々の声も聞こえてきた。

ケルンで行われたとあるデモは、この件で初めて私も参加したいと思えた動きだった。

 

そしてもう一つ、イスラエル国内から、とても大事な草の根運動が起きていることを知った。

前置きが長くなってしまったけど、その運動をどうにかみんなにも伝えたいな、と思ってこのブログを書こうと決心したんでした。

ドイツのTazと言うメディアに、彼らのインタビューが載っていたのでそれを紹介します。Tazはドイツの全国版日刊紙で、左派系の自主管理的な新聞を作ろうとするプロジェクトから生まれたメディア。タイトルは、

戦争について語るパレスチナ人とユダヤ人「平和は可能であり、必要である」

 

taz.de

Standing Togetherは、2016年にイスラエルで始まった草の根運動で、この戦争に対し、暴力ではなく交渉による平和的解決を望んでいて、イスラエル内での差別問題や環境問題にも取り組んでいる。

政党ではなく、草の根運動として始めたのは、まずは人々の視点を変える必要があったから。そのためには上からではなく、同じ目線に立って動く必要があったと。

 

今回の戦争が始まって以降、Standing Togetherに参加する人は2倍になったそうだ。特に若いパレスチナ人の参加が多いとのこと。

イスラエルでは今、ガザの人々の苦しみに言及するだけで、逮捕されたり職を失う人も出てくるくらい社会的圧力が強く、Standing Togetherは、法的なアドバイスを必要とする人々のためのホットラインを設置したり、ガザで犠牲となった人々を追悼できる場としての役割も担っている。もちろん彼らはハマスの残虐なテロは明確に批判するし、ユダヤ人もパレスチナ人も同様に、お互いの恐怖と痛みを共有する場を作ったり、イスラエル内での防空壕の清掃や設備を整える活動もしている。(イスラエルでもハマスからのミサイル攻撃が続いているため)

 

ハマスのテロは許されるべきではない、としつつも、ハマスを武力で殲滅させることは出来ないと彼らは言う。「ハマスはガザのみに存在するわけでも、ただのテロ組織でもなく、一つのアイデアで繋がってるため、イスラエル武力行使により流れる血で、彼らはさらに強くなるだけだ」と。

「私たちパレスチナ人、ユダヤ人は理解する必要がある。私たちの運命は互いに絡み合っていると。パレスチナの解放なくして、イスラエルの安全はない。イスラエルの安全なくしてパレスチナの解放はない。」

「この国に100万ものユダヤ人と100万ものパレスチナ人が住んでいて、誰が何を想像しようとも私たちはここに居続ける。ここが私たちの故郷であり、私たちはここに住む全員の安全と自由と独立のために闘っている。」

 

この言葉を読んで、涙が込み上げた。

国とか宗教とかではない。平和を望み、必要とする人々と、自由で安全な社会を作りたい。そういう運動こそ私が支持したいと思えるものだ。

 

さらにインタビューの中で印象的だったのが、この戦争に対する国際社会の反応について。

「発せられる言葉がどんどんラディカルになっていき、親パレスチナか親イスラエルかどちらかの側にみんな立とうとするが、それは私たちの目的の助けにはならない。私たちが見るのは、一つのサイドではなく、人々だ。」

「私たちが国際社会に期待するのは、イスラエル政府への停戦への圧力、そして、ここにいる人々の現実を理解してもらう事。私たちが、この戦争の中でこの問題の複雑さを認め、別のサイドの人々を見る事が出来るなら、他の人もそうする事が出来るのではと期待している。」

 

そして、ハマスのテロを抵抗運動として称賛するような動きに対しても、彼らは怒りを露にしている。

パレスチナ人としてもハマスのやった事は許されない。私たちの独立は、ガザに拉致された若者や少女の死体の上に築き上げるものではありません。」

ハマスが無実の人々を殺して、真剣にガザ解放や植民地解放を叫ぶことが、本当に私たちが支持する価値観なのでしょうか。私たちは確かにイスラエル史上もっとも右翼の政府を持っていますが、私たちは政府と同じではないし、何ヶ月もそれと闘ってきました。私はイスラエル軍による占領には反対ですが、私はイスラエル人でもあります。ハマスの前に立ち、私は植民地主義者ですどうぞ撃ってください、と言うべきですか?

事実は私たちはこの国で生活し、一緒に解決策を見つけないといけないということ。もしあなたがそれを支援することができず、大きな思想について全く非現実的な興味深いエッセイを書きたいだけならば、脇に下がってください。それは私たちを助けることにはなりません。」

 

インタビューの最後に。Standing togetherが望むこと、それは、

「西岸地区の人々の占領からの解放、そしてガザ地区がこれ以上軍事的封鎖されないこと。

そしてイスラエルパレスチナ人がユダヤ人と同じ権利を持つこと。

そのために皆さんがドイツで声をあげることは良いことだと思っていますが、私たちは同時に、イスラエルユダヤ人の安全も望んでいます。

もし声をあげるなら、私たち全員のために声をあげて欲しい。パレスチナ人もユダヤ人も自由で安全な生活を享受する権利があります。」

 

私は、当事者である彼らでも、こんなにも冷静に語ることが出来ていることに驚いた。イスラエルではガザへの報復を感情的に支持する人々がいてもおかしくないし、政府を批判しパレスチナの人々に寄り添おうとする彼らの活動への風当たりは相当強い。

西岸地区やガザの人々にとっても、彼らの平和的解決を望むスタンスはもはや理想論としてしか映らないのかもしれない。非人道的な状況におかれた人に、冷静になってもう一方の現実も見てください、だなんて酷なことは言えない。でも、ハマスではなくStanding Togetherのような活動が、どうかガザや西岸地区の人々にとっても、一つの希望として映って欲しい。

国際社会にとってもそうであって欲しい。この事で外側でも分断や対立を生む必要はどこにもない。

私のように外側にいる人間にできることは、物事を単純化することなく、公平さと人間性を保つことであり、何かを訴えたいのなら慎重に発信する必要があると思っている。

そうでなければ、過激で暴力的な思想をもつやつらのプロパガンダに利用されるだけだと思うから。

 

 

もしかしたら、私のこういった言葉も、誰かから見れば、反対側のプロパガンダでしかないと思われるかもしれない。

人は、聞きたい情報を聞き、見たいものを見る。それは私も同じだし、真実がなんなのか見極めるのは難しい。

知らない事、学ぶべき事がまだまだあるだろうし、ここから見える世界を常にどこかで疑うことも大事だと思ってる。

 

もしこのStanding Togetherのインタビュー全文に興味があれば、Google翻訳でも充分伝わるかと思います。

taz-de.translate.goog

彼らのWebサイト(英語版)はこちら。

www.standing-together.org

 

権力や差別と闘い、平和を願う人々の声が、これ以上すれ違うことがないように、世界中でもっと対話の機会が生まれることを願っています。